最後のボードゲーム
執筆:石川英幸
人生で初めてやったボードゲームはなにか、そこでどんな体験をしたのか。
すごろくやスタッフの中では、何回も登場した会話。
でも、今日は『人生で最後にやったボードゲーム』の話をしてみたい。
これはすごろくやスタッフ石川と、その頑固親父の話。
2016年4月。
僕は地元の金融機関で働いていた。
この日はどんな日だったろう、自分ではあんまり思い出せない。
そんなに晴れてはいなかった、仕事もそれほど忙しくなくて。よくある本当に、普通の日。
この日。
父が癌になったと、母親から電話がきた。
ひどく狼狽していて、回りくどい説明や涙声をかき分けてようやく結論にたどりつくと、そういうことだった。
ただ、早期発見だということと、薬で完治ができるタイプの癌だということが回りくどい説明からわかると、今どうにかなるわけじゃないから落ち着け、と長男らしく繰り返し母親を諭した。
ため息をつきながら、母親からの電話を切ったのを覚えている。
あと、振り返った時に、全然景色が違って見えたことも。
父は婿で。四国の徳島県から東京に出てきた次男坊。
当時、僕の実家は、母方のおばあちゃんと、母と父の三人暮らし。
実家から車で少しのところに僕と妻。
阿佐ヶ谷に弟が一人で住んでいた。
その第一報が入った日、仕事終わりに実家に帰ると父が迎えてくれた。
父はへらへら笑いながら「おう」と手を挙げた。
僕もなんとなく照れ臭くて、へらへら笑いながら「大丈夫なん?」とだけ聞いた。
日中聞いたみたいにどっちかというと早期発見だったし、来週から検査入院をしつつ1回目の抗がん剤治療を始めるということだった。
水にぷかぷか浮く藁を家族全員で握りしめるように、早期発見という言葉を母はその晩何回も繰り返した。もちろん僕も。
きっと変わることを恐れる気持ちは人間なら誰しも持っていて、多分に漏れない我が家は、入院までの日々、わざとらしいくらいいつも通りに暮らしていた。
母はご飯に普通に豚の角煮を出し、父は最近凝り出した家庭菜園の仲間に椎茸の原木を買ってきて笑いをとった。
そして僕も、いつもどおりに、そんなに実家には帰らなかった。
次に僕が帰ったのは父が入院する前日。
父の頭はつるんつるんだった。
出家したのかと思うほどに。
「薬で抜けるかどうかわからないけどもう、先に剃った」
マナーがわからない。こんな時なんて言ったらいいか。
せっかちすぎて自らつるんつるんになってしまったB型の父が、玄関開けたら仁王立ちしていたのだ。
「ああ、いいじゃん」
なんとかそれだけしぼりだして、父の顔も見ずに横を通り過ぎながら続ける。
「もう明日の準備したの?」
「お母さんがやってくれてるだろ」
「は、じゃあ安心だ」
子供みたいな父に苦笑いしながら、ほんとうに母をこき使う人だと思った。と同時に、人に甘えたくもなるか、とも思った。
振り返って父を見ると髪の毛の裾だけ一列残ってて、ちょうど後頭部がニコッと笑うように見えた。
「裾、髪の毛の裾のとこ、残ってるよ?」
「残してんだよ」
「なんで?」
「かっこいいだろ?」
母親が付き添って入院したのは中野の病院。家から電車で1時間。車で下道なら2時間強。
なんだってそんなところに、と思ったが仕事で懇意にしてる病院らしく、本人が納得するならと決定した。
入院期間は1ヶ月。
そして、頑固で寂しがり屋の父のために、母は朝から面会の終わる20時まで毎日中野まで通うことになった。
当時89歳だったおばあちゃんがその間ひとりになってしまうので、なるべく早く仕事を終えて僕か妻、あるいは両方が母が帰ってくる22時くらいまで実家にいて家のことをやる。
土日は僕と妻がお見舞いに行って、母はおやすみ。
父を一人にするという選択肢がとれなかった、それは父が怖かったからなのか、哀れだったからなのか、今はもう思い出せない。
父の話を少ししたい。
父は癇癪もちで、酒癖が悪かった。
昔など、家の中で母の悲鳴が聞こえてきたので、僕が飛んでいくと、
座り込み恐れおののく弟、まさに弟を殴らんと拳を振り上げる父、そしてその腕に叫びながらぶら下がる母。
ホームドラマのワンシーンみたいな光景は今でも覚えている。
なんでそんなことになったのかは割愛するが、本当にくだらないことだったのだ。
僕が仲裁すると、拳の下ろし所がわからなくなった父が、ガラガラと戸を開けて外に出て行った。
深夜24時を回ったところだった。
おろおろする母を宥めていると、なぜか僕が探しに行くはめになった。
それほど遠くへ行ってはないのだろうけれど、父が行きそうな場所もわからない。1時間くらい公園やベンチのあるところを探してみたが見当たらない。
そこで、は、と気づいた。そういえば車はあっただろうか。車に乗って行かれたらもうさすがにわからない。
車庫にいってみると、確かに車はある。
どころか、大きないびきをかきながら運転席で父が寝ていた。
そういう人なのだ。
父という人は自分勝手で周りを振り回しながら生きてきた人なのだ。
父の話をもう少ししたい。
ゲームが好きだったのだ。
ファミコンを買ってくれた時も、スーパーファミコンを買ってくれた時も、ゲームボーイを買ってくれた時も僕はおねだりなんてしていない。
僕が居間でゲームをしているのを、夜勤明けの父がお酒を飲みながらだらだらと見ているだけだったがそれでも満足そうだった。
ある日。僕がゲームボーイのサガ2を途中から始めようと立ち上げると見慣れないセーブデータがあった。
父のセーブデータだった。
父がゲームをしたことにびっくりしたがなんとなく嬉しかった。ただそれ以上に意外だったのは、画面に映っていたパーティメンバーのキャラクターが家族の名前だったのだ。
主人公が僕、エスパー男が弟、女が母、そして仲間になるモンスターのキャラの名前が父だった。
主人公でなく、モンスターの名前を自分にする発想なんて当時の僕にはなく、そして、傍若無人な父がそんな脇役に自分の名前をつけたことが本当に意外だった。
その後、父はゲームに目覚めたのかバイオハザードやメタルギアシリーズなどを好み。やり込み要素をすべてクリアするほどやりこんでいた。
実家を出た僕が久しぶりに戻った時などは、帰るなり父が大声で僕を呼び、しぶしぶ行くと。
「これを撃ってくれ、何回やっても撃てん。今から一回見せる」
と目を移した画面はメタルギアソリッド3だった。
「強制的に進むから、外したらまたやり直しなんだ。全然当たらん」
父は半日もこのカエルのマスコットを狙っていたのだという。おんなじところを何回も。半日ずっと。
こういう人なのだ。
絶対に諦めない人なのだ。
きっちり1ヶ月で退院した。
もうその頃には、父は癌なのだ、という事実に慣れてきて受け入れられるようになっていた。
というか骨折や、ちょっと重い風邪くらいに思っていたんだと思う。
簡単にいうと、死ぬとは、思ってなかった。
そこからしばらくたって、
2017年8月。
足が痛くて動けなくなった、と母から連絡がきたときも、軽く考えていた。
実家に帰ると、父が居間に寝ていて、また「おう」と手を挙げた。
寝室じゃなく居間で布団をすいて寝ている父になにか違和感はあったが、本当に僕らは簡単に考えていたのだ。
そして変化を恐れていたのだ。
「足、ぶつけたとか転んだんじゃないの?」
「いや、癌のせいだと思う」
「そんなんなる!?癌で!?」
「わからんけど、とりあえず明日検査入院してくるわ」
みたいな会話を少しして、居間でご飯を食べた。
よくわからないけど、具沢山なカレーだった。父は寝たまま僕が食べてるのを眺めていた。
三日後くらいの夕方。
癌が脳に転移したと連絡がきた。
そして、父の余命が1ヶ月だと判明した。
何が判明したのか、余命とはなんなのか、父はどうなってしまうのか、なにも実感のないまま、泣きじゃくる母に、お父さんの前では泣かないように、とだけ言った。
本当に世界が変わってしまった。
これから父が死ぬのをみんなで待たねばならない。
父が死ぬまでどれくらいなんだろう、いつ、何時ごろ死ぬのだろう、その日大きな仕事が入ったらどうしよう。
ああ、父に会うのがこわいな。
死ぬって怖いだろうな。死ななきゃいけない人と何を話そう。
父は今どう思ってるんだろう。お見舞いに朝から行って夜まで、いったい何を話そう。
ボードゲーム。
これしかないように思えた。
当時僕はかなりボードゲームにハマっていたのに、父にボードゲームやろうというのが本当に恥ずかしくて、なぜかボードゲームっていうのがあってさ、という話すらしたことがなかった。
父の状態も分からなかったので、なるべく簡単なルールで場所をとらずそんなに時間もかからないのがいいと思った。
そう、たぶん、僕は父とボードゲームをしたかったのだ、と気づいた。
いやボードゲームじゃなくてもよかったのかもしれない、僕の好きなことを一緒にしたかったのだと気づいた。
リュックに父と遊ぶ用のおもちゃを詰めていくのは楽しかった。
ドメモやアルゴみたいな論理的なゲームは父が好きそうだ、タギロンもいいな。
僕の一番すきな宝石の煌めきはどうだろう、病室のベッドテーブルだと場所が小さいだろうか。
父がやってたサガ2みたいに、家族で協力して世界を救うパンデミックもやってみたい。
あと、あと、あと、たくさん浮かんで。
あと、あと、
なんでもっと早く言わなかったんだろう。
ボードゲームっていうのがあってね!
なんで癌になんかなっちゃったんだろう。
なんで死んじゃうんだろう。
泣かないように口をぎゅっと締めながら少しだけリュックにボードゲームを入れた、簡単なルールのゲームは明日すごろくやで買おう、と決めて、チャックを締めた。
当日は母は電車で先に行っていて、僕と妻は車で後から向かうことになっていた。
すごろくやの近くのコインパーキングに車を止める。
何度もここには来たことがある。
すごろくやでは『こども気軽に』『こどもじっくり』『大人気軽に』『大人じっくり』と4つの部門でゲームが区分されている。
今日はゲーム自体やったことのない母も一緒にやらせるつもりだった。部門は『こども気軽に』がいいだろう。そして4人でできて、場所を取らず、プレイ時間も短めなやつがいい。
土曜日のすごろくやにはかなりお客さんがいたことを覚えている。
初めてボードゲームに触れる方もたくさんいただろう、笑顔でほんとうに楽しそうにボードゲームを眺めている。
僕は眉間に寄った皺を指先で平らにしながら、一つゲームの箱を手に取った。
『ゆかいなふくろ』
3〜7までの数字が書いてあるカードを3枚手札に持ちます。
自分の手番ではその手札から1〜3枚のカードを共通の場に出します。
3の列、4の列、5の列〜と分けて並べていきます。
手札からカードを出した時に3の列なら3枚目、4の列なら4枚目となるようにカードを出せれば、その列のカードを全て獲得できます。
その後手札を3枚になるように補充し、山札がなくなったときに一番獲得したカードの多いプレイヤーの勝ちです。
簡単なルールと軽いジレンマがありそうなところが決め手だった。
結論として、これが父という人間が人生で最後にやったボードゲームになった。
病院に着くと、父の病室が変わっていた。
日当たりのいい個室だった。
「おう」
父がへらへらと手を上げる。
個室を見渡し「いい身分じゃん」と憎まれ口を叩いてしまう。
直視できなくて病室を眺めてしまったのが原因だとは思う。でも本当にいい部屋だ。
高層階なので見晴らしもいいし、なにより窓が大きい。
この部屋で父は死ぬ。
父のお昼ご飯をみんなで眺めたり、病院内の売店であんまりみかけないお菓子をみつけたりしたのち、ようやくボードゲームを取り出せるタイミングがきた。
「みんなでやろうと思ってボードゲームっていうの持ってきた」
ちょうど夕暮れ前の、沈黙が多くなってきたタイミングだった。
母親が一番張り切った声をだし、やろうやろうと少女みたいに騒いだ。
父はいつもみたいに、うるせえなあ、と母に言い、どんなゲームなんだ?と僕の方を向いた。
父がよっこいせと声を出しながら上半身を起こし、ベッドの壁のほうに背中を預けた。
そのよっこいせ、が本当に辛そうで僕は聞かなかったフリをしてしまった。
「このスペースでできるか?」
父が示したのは自分のふともも辺りの布団の上だった。
父の周りに集まって、僕はルールを説明し始めた。
「簡単だな、面白いのか?これ?」
それに関しては、僕もやったことがないのだ、断言はできない。
「うん、たぶんね」
ゲームが始まってしばらくすると、父が。
「そういうことか」
と呻いた。
7の列があと3枚で完成する、そこから察すると父の手札に7があるが3枚はないのだろう。今1枚出したら自分のところまでで完成してしまう可能性が高くなる。
出すべきか、出さぬべきか。
なんだかんだで最後に7の列をしっかり確保した母が勝利した。
父が大きなため息とともに壁をずり落ちて布団に戻る。カードを並べていた部分の足が動いたので、カードが何枚か床にバラバラと落ちていく。
あーあーと声を出しながら拾っていると頭上から「結構面白かったぞ」と父の声が聞こえた。
「もっとあるからまた持ってくるよ」
病室の床を見ながらそう言うと、母親のやりたいやりたい!という声ばかり響いて父の声は聞こえてはこなかった。
何日かして、電話がきた。
深夜1時にお医者さんに呼ばれて、夜の中央高速を走った。
もう父はしゃべることもできなくなっていて、時折顔を歪ませていた。
父の周りに椅子を並べて、なんとなく心電図をみんなで眺める。
最初は映画みたいにピッピッって音出てないんだなあ、とか、エレベーターで回数表示を眺めているみたいな雰囲気だ、とかくだらないことを考えていた。
次第に、お尻が痛くなってきて、なんとなく手持ち無沙汰になる。
と同時に、この時間は『死に待ち』なんだと理解した。
父が死ぬまでこの時間は終わらない。今目の前で苦しそうにしている父が。
死んで欲しいなんて思わない、でもそうしないと終わらない。
そこで売ってた不二家のレモンスカッシュが美味しいとか、売店で売ってた干し芋あるよ、とか、低いトーンで日常的な話をする。
時々父に話しかけながら。
父が聞いているかどうかは別にして、この後に及んでも父が死ぬ、悲しいことが起こるっていう雰囲気は出せなかったんだと思う。
痛そうにしている父の背中を母がずっとさすりながら。
「この前のボードゲーム楽しかったんだもんねえ」
と言った。
面白かったと幾度となく言っていたようだった。僕がそんな沢山持っていることも知らなかったと。
父と二人で酒を飲んだこともない。二人でどこかに出かけたことも。
「そういえば、あーいうのはどこで売ってるの?」
母が僕に質問するのは珍しい、僕に質問するのは大体父だった。
「すごろくやっていう、高円寺にあるお店」
父の背中をさすりながら母は言う。
「お父さん、いつか行ってみたいって」
ここのところ雨が何日も降っている、
今日はどうだろうか。
父が死ぬ日は気持ちよく晴れている日がいいな。
そう思って初めて、今まで父の幸せを祈ったことがなかったんだと自覚した。
仲良くなる努力も、父のことを考える時間も。
照れ臭いからきっと思いついてもできなかったとは思うけれど。
4時ごろ、父は死んだ。
まだ病室の中は夜が立ち込めていた。
医者が臨終の確認をし、母が、もういいよね、とぼそっと言った後大泣きした。
お医者さんと話をしたのち、お葬式の手配をしに、電話ができる同階のスペースに行く。
そこは広々として、一面窓になっているスペースだった。
ちょうど夜が明けていく。
晴天だった。
涙がぼろぼろとこぼれた。
すごろくやにはきっと、
誰でも楽しめるゲームがある、みんなで笑顔になれるものがある。
忘れられない思い出をくれる。
「俺、すごろくやで働くことになった」
手を合わせた仏壇の中で、父が笑っていた。
この記事を書いた人:石川
2021年入社。卸流通担当スタッフ。自分で考えたことにしてしまいたいゲームは「ラブレター」。たった16枚のカードでこんなドラマチックなゲームができるの!?とおののいた。一生忘れられない思い出をたったこの16枚で作れた人もきっといるのでは。ちなみに指パッチンが非常によく鳴る。