すごろくや

「楽しい」って、なんだ。

執筆:大橋莉乃

すごろくやの大橋です。
2021年7月に入社したばかりの新人です。ボードゲーム好きが高じての入社……ではなく、実はボードゲームをほとんど遊んだことがありません。

テレビゲームやカードゲームは昔から好きです。しかし私は「ゲーム」と、真摯とも歪とも言える、不思議な付き合い方をしてきました。

私は「競技プレイヤー」です。

競技プレイヤーとは、ゲームを楽しく遊ぶだけではなく、大会で結果を残すことを目標にしている人達のこと。ひと口に大会と言っても非公式大会から世界大会までの幅がありますが、「勝利という結果を追い求めるために日々取り組んでいる」という姿勢そのものは、そう大きくは変わらないでしょう。

私は昔から「大会で勝利する」ことを目標に、ゲームに取り組んできました。
ある時は某カードゲームの大会で優勝したり、ルールへの理解を深めるためにジャッジ(審判)の資格を取得したり。
またある時は、某テレビゲームで全国大会に進出しベスト8。

この時は酷いもので、夜勤から帰って寝て昼過ぎに起床、7時間練習、支度して夜勤へ……という生活を、大会出場を決めてから本番までの3ヶ月間、毎日やっていました。ここまでくるとストレスのかかり方は尋常でなく、自分が食事を取ったかわからなくなったり、体重計に乗るまでもなく痩せたことがわかる風貌になっていたりと、なかなかにマズイ状況に。大会当日も胃薬を飲んで会場のすみっこに座り込んでいたのを覚えています。

結果、なんとか目標は達成。
しかしまだまだ上がいるということを思い知らされ、大会が終わってもなおコントローラーを握り続ける日々を過ごしていました。

上昇志向を持ってゲームに取り組むのは全く悪いことではありません。但し、本人がその状況を楽しめていれば、の話ですが。

義務か、使命か

私は、いつしかゲームが楽しめなくなっていました。

負ければ10辛いのに、勝っても1しか嬉しくない。勝ち続けられるほどの技量があるわけではないので、必然的に辛さの割合がどんどん増えていく。結果、ゲームに対して「辛い」という気持ちが大半になってきました。

周りの友人達が強いモンスターを倒して喜んだり、好きなデッキを使って楽しんだりしている中、自分はわざわざ辛い道に進んで行って、勝手に真剣になって勝手に怒り勝手に悲しむ日々。そんな取り組み方をする必要はない、ただ楽しめばいいと頭ではわかっているのですが、気持ちがどうしてもついて来ないまま続けていました。

ここまで来るともう義務感です。使命感で続けているつもりだったのですが、辛いのに、手を止める事もまた辛いとなると、もはや強迫観念の域まで達していると言っても過言ではありません。

同時に、ボードゲームへの苦手意識が生まれます。
「ボードゲームで遊ぼうと誘ってくる友人は、勝ち負けなんか重視していない」ということは理解していました。ただみんなで楽しみたいから誘ってくれている。

でも私は、どうしても定石を探したり勝ち筋を考えたりする方に意識が持っていかれてしまって、「楽しむ」ことが難しかったのです。真剣に悩んでいる姿を見せてしまうと場の雰囲気を壊しかねないし、それを隠しながら遊ぶのも空元気を出すようで、負担に感じてしまいました。

それがわかってからは、ボードゲームで遊ぶことを意図的に避けていたように思います。

それでもやはり「ゲームを楽しく遊びたい」「競う以外の付き合い方をしたい」という想いを、諦めきれていませんでした。もしかしたら、ゲームに仕事として向き合ったら何か変わるかもしれないと、すごろくやに期待していたのかもしれません。

すごろくやに入社、そして

すごろくやに入社した私の主なお仕事は、店頭での接客販売。お客様が興味を持って下さったゲームのご説明をしたり、オススメのゲームをご案内したりするのですが、私はさっそく困ったことになってしまいました。

お客様に「このゲームのどんなところが楽しいか」をお伝えしなければならないのに、前述の通り、私はそもそもゲームの楽しみ方がわかっていません。

ゲームを覚えるためにメモを取っていたのですが、そこには「概要・勝利条件・勝ち方」の3項目しかなく、練習の際にも「このゲームの楽しいポイントは?」と聞かれ小首を傾げる始末。これ、「わかっているけど言語化できない」ではなく、「わかっていない」のだから、大変です。

しかし、先輩スタッフの接客は、そんな私の思考を変えてしまうほどでした。
「楽しい」という感情を伝えるための声のトーンや言葉の選び方が非常に上手で、「楽しむ」を難しいと感じている私でも思わず聞き入ってしまうほど魅力的。

なかでも驚いたのが、「楽しい」の中に「悔しい」が内包されていたことです。

私の考える「楽しい」は、「狙っていた通りに事が進む」「勝ち筋を押し通す」がほぼ全て。「上手くいかない」「悩ましい」は、楽しさとして認識できずにいました。そこに気づくことができたのは自分にとって非常に大きな収穫で、これ以降ゲームへの向き合い方が根本から変化したのを実感しています。

不思議なことに、先輩スタッフに説明された後に試遊してみると「なるほどこれが『楽しい』なのか」と徐々に感覚が掴めるようになりました。勝てなくても、「勝てなかったな」だけでは終わらない。「今度はこれを試してみたい」「あの仲間達と遊んだら面白そう」と、プラスの思考に変わってきていました。

「お客様にご説明する為の試遊」なので、勝利することが目的ではなかったり、その為にお互いの思考を公開しながら遊ぶ場面もあったりと、ゲームを遊びつつも「勝敗」から強制的に切り離されていたのも、私にとっては良かったのだと思います。

そして何より一番強く影響を受けたのは、「スタッフが全力で楽しんでいる」こと。 試遊はもちろんですが、店頭でお客様へ説明している時も「ここが本当にドキドキするんですよ」「こうなるとめちゃくちゃ悔しくて、もう一回やりたくなりますよ」と、全力で楽しんでいる様子が本当によく伝わってきて、自分に話されているわけでなくても「今ご紹介しているあのゲームについて、後で詳しく聞いてみたいな」とつい思ってしまうほどです。

今は、私もお客様へゲームの「楽しさ」をお伝えできるようになりました。なかには試遊した際にボロ負けしているものもあるのですが、今の私にはあまり関係のない事です。だって、そのゲームで遊ぶことそのものが「楽しい」のですから。

やっぱり、私はプレイヤー

私は、競技プレイヤーを辞めていません。

ボードゲームはプライベートでも友人と気軽に楽しみつつ、テレビゲームやカードゲームでは競技プレイヤーとして大会に出場しています。

競技プレイヤーとしてゲームをすることに辛さを感じていた時は、「真剣かそうでないかしかできないから両立は難しい」「競技プレイヤーは辛いし、ゲームの楽しみ方を思い出したら辞めるのだろうな」と思っていたので、現状両立できているのが不思議で仕方ありません。むしろゲームの「楽しさ」がわかるようになったことで、肩の荷が下り、競技としての取り組み方やプレイングにも好影響を及ぼしているような気さえします。
競技プレイヤーとして勝つことは、私にとって使命感へと変わりました。そこに義務感はもうありません。

なんなら新しいことにもどんどん興味が湧いてきています。

今一番気になっているのは、ボードゲームの競技シーン!カタンドミニオンカルカソンヌが有名ですね。

でも、手を出さない方が良いような気がしています。本当に行き場がなくなってしまいそう。とはいえ、せっかくボードゲームをお仕事にしているので、いつか少し触れられたらと思います。この「少し」が難しいのですが……

すごろくやに入社して3ヶ月。有り難いことに、毎日楽しくお仕事させていただいています。

「お客様にぴったりのゲームをご紹介できるようになりたい」と思うと日々の勉強も捗りますし、何よりお客様と直接お話しできることが、私にとっての励みでもあります。
皆さまが素敵なゲームと出会えるお手伝いをさせていただきたいので、ご来店の際はぜひお気軽にお申し付けください。

ボードゲームの「楽しさ」を、お伝えできればと思います。

この記事を書いた人:大橋

2021年入社。店舗担当スタッフ。この世で一番面白いと思うゲームは「ポケモンカードゲーム」。すごろくや入社初日、勤務開始5分で「大橋さんってポケカやるんですよね!?!?!?いつか一緒にやりましょう!!!!!!」と話しかけられる。現在はすごろくやポケカ部として、夜な夜な他のスタッフとリモート対戦中。姫部屋に生息しているため、景観を損ねるという理由でゲーミングPCの導入を見送っている。